「アップルになれ」

林です。ふと思いついたことを書きます。

アップル、もしくはグーグルのような企業に対するワナビーな論調が日本社会、とくに経済界では多く噴出しています。しかしながらそこに隠された何故アップルもしくはグーグルが今の地位を築き得ているか、という視点があまりにも欠けている論調が多すぎるのではないかと思うのです。華やかに成功をおさめるこれらの企業価値は物凄いものですが、彼らが何故その特権的地位を持ち得るかについては考えずに、アップルになれ!イノベーションを創造せよ!世界を変える企業を目指せ!だけでは新興宗教と変わりません。(どっかの孫さんと同じですね。光の道(笑))

例えばアップルを例に見てみましょう。この企業の特徴としてはやはりカリスマ的指導者の存在を見ずにはいられないでしょう。現在のアップルの主力商品を成功させたのはジョブスの力あってのものでしょうから。

しかし、ではジョブスのような人間がいればそこにアップルのような企業が登場し得るのかというとそうではありません。そこにはコンピュータ需要の爆発的増加という、20世紀でも有数のムーブメントが存在したからです。アップルがまず第一に成功し得た理由は、PCの需要開拓および製造ノウハウの蓄積という面において、極めて大きいアドバンテージを獲得し得たという点にあります。もちろんそれを大きく推し進めたのが、ジョブスのカリスマ的力ではありますが、彼とてウォズがいなければあのAPPLEⅡを製造するのは不可能であったはずです。

すなわちここで問題となりうるのはタイミングです。PC業界が爆発的に拡大するタイミング。これがここで求められたものなのです。なぜならばこれよりも少しでも早ければ製品が売れず、遅ければ大規模需要による大企業参入によって、ベンチャー企業は太刀打ち出来ないからです。ジョブスとはそのなかで最も成功し得たベンチャー企業創設者であり、最も優れた経営者でしょう。しかしながらそれを産み得たのは、コンピュータ業界に対するアメリカという国の圧倒的なアドバンテージとベンチャー企業に対する許容風土なのです。単純に言えば数を打たねば物は当たらないのです。裏では死屍累々の山が広がっています。

そしてこのコンピュータという製品の特殊性が、アップルをアップルたらしめている点です。コンピュータ以後、いくつかの爆発的な製品のムーブメントは存在し得ましたが、そのほとんどはコンピュターの周辺領域に存在しています。その中心、ハブとなる位置にコンピューターは存在しており、コンピュータを製造する会社はそれによってムーブメントが起こるたびに利益に授かることができます。そしてそのなかで唯一ソフトウェアとハードウェアを提供できる企業であるアップルは、最も周辺領域に参入しやすく、先ほど述べたノウハウというアドバンテージを有効に活用できる唯一の企業なのです。これがアップルをアップルたらしめている点であり、誰もが獲得できないアップルの独自性を生み出すのです。

これに最も近い企業にはノキアがあります。携帯電話はその派生領域上、当初はコンピュータから多少離れた位置に存在する、爆発的ムーブメントを生み出した製品でした。故にノキアはハードウェア、ソフトウェアに対する極めて大きいアドバンテージを、携帯電話の転換期でもあるアナログ→デジタル期に獲得することによって、10年以上トップシェアを獲得し続けています。

ノキアの不幸は、携帯電話が進化するにつれ、どんどんコンピュータに近づいていったということでしょう。自社の圧倒的アドバンテージが携帯電話のコンピュータ化によって相対化に薄れ、コンピュータ製造企業が相対的にアドバンテージを得たことが、ノキアの拡大を止めてしまったのです。このようにコンピュータは概念的に様々な製品を取り込んでいき、拡大していきます。

この前iPadを使い、「もうコンピュータはいらない」とほざいたアホなライターがいましたが、彼は勘違いしています。モバイル機器がコンピュータの地位を奪ったのではなく、コンピュータがモバイル化したのです。でなくて、何故世界PCトップ3シェアの企業全てが携帯電話業界に参入しているのでしょうか?私たちはモバイル機器を用いる時も、コンピュータと同様の文化圏内にある使用法しか行わず、反面携帯電話独特の文化はますます衰退しています。今やPCメーカーのほとんどが携帯電話業界に参入し、反面携帯電話専業メーカーのPC業界への参入はノキアの2年前の唐突で小規模な参入を除き全く行われていません。すなわちこれは携帯電話業界が保持していた独特のアドバンテージがPC業界によるアドバンテージに打ち負け、携帯電話がコンピュータ化しているということを示しているのです。

そしてこのような中で成功した企業、たとえばサムスンやHTCを見てみましょう。確かに彼らは成功したでしょうが、アップル的存在とは程遠く、むしろ日本のソニーのような存在です。何故ならば彼らはコンピュータ的製品により成功を収めたのにもかかわらず、それは下請けやODMによってノウハウを得た後に、技術的アドバンテージによってのし上がった企業だからです。すなわち既存の企業の何らかの弱点を突き、そののち成長するという、従来からの企業成長-衰退構造に則った成長をしています。

繰り返しますがアップルはそれとは全く異なっています。アップルの成長は全てパーソナルコンピュータというハブの初期爆発的需要拡大機に成功し得たという事のみに依拠しています。これがあるからこそ、アップルは次から次へと爆発的成長業界へと参入でき、なおかつ成功を収めうるからです。これがアップルが多少失敗を重ねても落ちぶれない理由です。コンピュータというものに対するアドバンテージは現代社会において莫大であることの証左でしょう。

そしてこのような莫大なアドバンテージを獲得できる何かを掴まねばアップルのような企業になる資格は与えられません。いかに優れたデザインプロダクツを送り出そうが、カリスマ的指導者がいようとです。しかしこれらは簡単に起きるものではなく、(はたしてパーソナルコンピュータ以上の発明がいつ起こるというのでしょうか?)またそれが起き得たとしてもそのアドバンテージを獲得するには背後に莫大なバックボーンがなくてはなりません。決して、決して個人の心構え程度ではなれるものではありません。

果たしてこのような議論が現状でなされているでしょうか?私からすれば現状のアップルワナビー論は、企業の成功を過度に個人の資質に寄与すると誤解させる温床になっているとしか思えません。そのような背景構造を理解せずしてなれ!なれ!というよりは、地道にそのような構造を生み出せるように、やれることをコツコツやるほうが、なんぼかましという物でしょう。すくなくともそれを意味が無いと批判する、前が見えていない御大よりかは。

コメント

  1. 先日、信楽に行ってきたのですが、観光政策について常滑のポジティブな面を強く感じました。
    観光と保護の間で揺れているのだと思いますが、どっちつかずはいけませんね。

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  2. ずいぶん返信が遅れました。申し訳ありません。
    信楽は残念ながら見ておりませんが、瀬戸や伊万里などの陶郷と常滑を比較するとき、やはりそこには様々なシステム―例えば得意とする製品群や陶器製造拠点、大企業の有無など―が極めてその観光問題に対する姿勢に影響を与えているといえるでしょう。よくも悪くも常滑の衰退の速さが地元の、主に今50代前後の方々に危機感を与え、観光化を推し進めたと言えると思います。
    しかしながら、「観光と保護の間で揺れているのだと思いますが、どっちつかずはいけませんね。」というのは真理でもあり、間違いでもあります。何故ならばオルタナティブ・ツーリズムというものがマスツーリズムの虚位性、非現実性の否定から始まっているからです。すなわちそこに生きられた、何らかの形態が存在しない限り、オルタナティブツーリズムは商品力を持ちません。
    しかし、故にその形態を押しとどめようとするときき、内部に居住する人々の快適な生活を送る諸権利はある程度剥奪されざるを得ません。しかしそれを改善するためにそのような景観、形態を破壊することは、内部に住むお年寄りの生活権を侵害することにもつながり得ます。ある人は内部の住居を若い人々に貸出し、そのお金で老人がマンションなどに住めるようになれば良いのだがと言ってましたが、それは理念的にも(=更なるその地域の特異性の類型化、硬直化に繋がり得る)、実質的(=若い人は京都と違いほとんど常滑には住まない。)にも難しいと言わざるをえないでしょうね。

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